ー 明治~大正時代 ー

~フエキのり誕生~創業から大正時代までの歩み

明治時代

明治19年

(1886年)

不易糊工業株式会社の前身
「足立商店」創業

八代目・足立市兵衛、足立商店
(大阪市南久宝寺一丁目42番地)を創業。

足立市兵衛

明治28年

(1895年)

日本卓上糊の元祖「不易糊」が誕生

 この年、長年の研究と大阪府立商品陳列所 (現在の大阪工業技術試験所)藤井恒久所長による指導、助力の甲斐あって、わが国初の“ 腐らない糊 ” が遂に開発されました。

★「 不易糊 」は、中国の荀子の【萬世不能易也】(永遠に変わることなし)に因んで命名されました。いつまでも腐らず不変の品質を誇るという意味を 込めています。

不易糊誕生

明治29年

(1896年)

護謨(ゴム)工業に進出

 「ゴムまり」「ゴムペン」「ゴム人形」など相次いで発売し文具店頭を賑わしました。

ゴム人形はさわると表情が千変万化するアイデアが受けヒットしましたが、 大正のはじめに設備を売却し、護謨(ゴム)工業から撤退する事となります。

明治34年

(1901年)

「不易糊」の商標

 当時の「67類、旧法70類、登録商標第56931号」が登録され、当社の登録商標R第1号となりました。

この商標は「桜花」に「不易糊」と「A」の文字を配したもので、現在もこの権利は存続しています。 「桜花」は我が国の国花であり、「A」はADACHIの「A」を表すばかりでなく、「ABC」 「ACE」 「アイウエオ」の「A」であり、はじめのもの、優れたものを表象しています。

不易糊商標 明治41年の広告

明治42年

(1909年)

日本ではじめて「チューインガム」の製造に着手

 護謨(ゴム)工業での技術を生かし、日本ではじめて「チューインガム」の製造に 着手しました。アメリカのリグレーの向うを張ったわけです。 商品名を<白龍>と称し、チューインガムの歴史の第一頁にその名をとどめています。

しかし世に出すのが半世紀も早かったのか、当時の日本人の嗜好に合わず、ほとんど売れませんでした。

明治43年

(1910年)

輸出用ABCスタンプインキ、海綿タイプの「ABCアラビア糊」製造開始

 足立商店はその後文房具ルートにその重点を置き、基礎を固めました。 また、輸出用ABCスタンプインキ及び天然のアラビアガムを原料とし、指先を汚さない海綿タイプの「ABCアラビア糊」(液状のり)を開発製造し、主としてジャワ方面に輸出。 大正10年頃その製造を中止しました。

明治41年の広告  

大正時代 

大正12年

(1923年)

「日之本糊R」の別ブランドにて販売を開始

 中部、関東及び北海道地域のシェアの拡大をはかるため、当時の東京出張所を拠点とし、この地域に対し<日之本糊R>の別ブランドにて販売をはじめました。

 このブランドは昭和15年ごろまで製造を続け、その後は<不易糊>に統一されました。

大正13年

(1924年)

足立商店を改組し、不易糊工業株式会社を設立(11月22日)

 本社工場は、大阪市南区東賑町6番地(現在の大阪市中央区谷町6丁目11番3号)にありました。

この年、アラビア糊<不易ゴム糊>の製造をはじめましたが、その後の太平洋戦争中にアラビアゴムの輸入が杜絶。 加えて海綿などの諸原料調達難のため、結局一時製造中止のやむなきに至りました。

 戦後、昭和25年4月<フエキゴム糊>の名で再開、更に昭和31年7月 <フエキアラビア糊>( 40cc入¥50、110cc入¥100)と改称しましたが、石油化学工業の進展と共に新しい合成樹脂が続々と誕生し、高性能・高品質のものが大量且つ安価に入手できるようになり、昭和39年10月、事務用合成糊<フエキ糊スーパー>にその席を譲り、40余年の長い歴史を閉じました。

大正14年

(1925年)

「不易墨汁」のブランドで製造販売を開始

 この年長年の研究が実を結び、墨汁の開発に成功しました。コロイド科学の粋を集め、そのテクニックを駆使して煤(カーボンブラック)の微粒子を水中に分散安定化する技術の確立で“墨の液状化”を成し遂げ、<不易墨汁>のブランドで製造販売をはじめました。

液状の墨「不易墨汁」開発の経験と技術は、後に商品化された<不易朱液>や書道用液<墨彩>の高品質に受け継がれています。